大人をまねぶおしゃまな女の子
http://www.caa.go.jp/kodomo/mail/past/vol/20151029.php
小さい頃、大人っぽく可愛くなりたくて、メイクアップのおもちゃをねだって買ってもらったりしていたような記憶がある。
最近は、つけまつげに憧れた女の子が、なんと、瞼をくっつけてしまう悲劇が起きているとのことらしい。
なんともくすっとなる可愛らしいお話なのだが、目に悪いので、大人がしっかり化粧のいろはを教えてあげたいところである。
2015年10月読み終わった本
ドミノ
恩田陸
再読
- テーマ
- とある夏の日の東京駅で起きた事件に居合せることになる人々のエピソード
- ポイント
- 各人が個性的に書き分けられている。ある一時点に向かって、登場人物たちがドミノ倒しにぶつかっていくコミカルな話
Review:Clariel Chapter11
Chapter11
out of the bottle
久しぶりの更新。
以下ネタバレ注意!
2015年7月読み終わった本
大地の子エイラ(上)
ジーン・アウル
エンデと物理学「ものがたりの余白」
(はてしない物語より引用)
「造ったから、それははじめからそこにあった」
(シリルの物語より引用)
「探したから、それははじめからそこにあった」
エンデの物語は、「ものがたりの余白」にて、自身が説明する通り、子どもが好む遊びが尽くされた芸術であるが、その一方、その言葉は、まるで物理学を連想する示唆に富んでいる。
上記に引用した2つの記述を読んだときに思いついたことは、量子力学だ。
(量子力学に関することといえば、シュレディンガーの猫がよく知られているだろう)
観測したときに、すべてのビット上の数字が定まる量子コンビュータの考え方に似ていると思った。
エンデは、図らずとも、量子力学を語り、この世界の真実を物語っていたのだろうか?
もう一点。
エンデが書いた「はてしない物語」は、バスチアンとコレアンダー、そして、他の多くのファンタージエン国へ旅立った人たちにとって、別々の国、ちがう名を持つ幼ごころの君が存在する。
これもなんとなく重ね合わせを連想させる。
1つのビットに0と1が同じ確率で存在し、ふたつの結果が重ね合わせの状態にあるという量子コンビュータのようだ。
物理学に明るくないので、見当ちがいの事を書いている可能性があるが、しかし、エンデの凄さを感じる。